社歴

寛文10年 初代頼純公が西條入部に際し、石鉄山蔵王権現本社北に東照神祖廟を奉る。
文化12年 同地に再建。
天保7年 同地の谷をはさんだ東の山(西田二並山)をひらき、地形を平し鍬初。
天保11年 宮廟落成。
明治5年 市内西田二並山に祀られていた東照宮を合祀して、、現在地に創建。
明治6年 村社。
明治16年 西條東照宮の名を西條神社に改称。
明治17年 郷社となり、同27年県社に列格。

本殿

祭祀の神
 御祭神の徳川家康公は、戦国乱世を統一して、歴史上類を見ない長い泰平の世を開き、近代日本の土台を作られた神人であります。
 どんな困難に遇っても深慮と忍耐をもって勝運を克ち得てきた方です。
 同じく御祭神の松平諸公は、紀伊徳川家の分脈で、家康公の御孫の系譜に当たり、よくその「御遺訓」を守り、西條藩主として、十代二百年の間、宇摩、新居、周桑郡の村浦に仁慈の政治を敷かれました。民主安定を計り土地開発や産業、文教の振興に意を用い、近代西条地方発展の基礎をつちかわれた方々です。

御祭神
神祖 徳川家康公 (紀州初代 徳川頼宣公)
西條藩初代 松平 頼純 よりずみ公
2代 頼致 よりよし(紀州6代宗直 公)
3代 頼渡 よりただ 公
4代 頼邑 よりむら 公
5代 頼淳 よりあつ 公 (紀州9代 治貞公)
6代 頼謙 よりかた 公
7代 頼看 よりみ 公
8代 頼啓 よりゆき 公
9代 頼学 よりさと 公
10代 頼英 よりふさ 公
 
 
御社紋

西條葵
平隅切三葉葵
御社紋

家康公御遺訓
遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し
急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし
心に望おこらば困窮したる時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基 いかりは敵と思え
勝事ばかり知りてまくる事を知らざれば害その身に至る
おのれを責めて人を責むるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり

  慶長八年正月十五日 家康 花押

人はただ身の程を知れ草の葉の露も重きは落つるものかな

・諸事勝運  ・開運厄除  ・初宮詣り  ・地鎮祭
・七五三詣  ・受験合格  ・交通安全  ・結婚式
・家内安全  ・商売繁盛  ・病気平癒  ・諸工事祭

鶴亀の庭
鶴亀の庭
境内に巨大な鶴と亀の石が並んでいます。参拝者がこの石に腰をおろし、また幼児がこの背を歩むと無病息災を祝福されると伝えられています。

社宝

家康公御馬印
家康公御馬印
(関ヶ原戦に使用せしものと伝う)
勝海舟筆 銀泥社号額
勝海舟筆 銀泥社号額
(他山岡鉄舟掲額)
智月院様(頼学公奥方)
御駕籠
智月院様(頼学公奥方)
御駕籠